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栽培日誌

自然栽培のブランド化

私は自然栽培はブランド化がとても大切だと感じています。


私は自然栽培をこのような位置づけで考えています。


お客様『自然栽培=安全』⇒自分にとって・地球にとって

作り手『自然栽培=儲かる』⇒働く喜び・人生の勉強



『お客様🔄作り手』の欲望・欲求が上手くかみ合わないと世界は動いていかないと感じています。


選挙では国は変りづらい。

国民の一票の重みと言うのは非常にわかりづらい。


わかりやすいのが「お金」です。

お金は投票用紙です。

国民一人一人のお金の使い方で国が動きます。


私は、今の世の中がこのように動いているように感じます。

お客様「楽」⇒自分が楽しい・楽になりたい

支配者「恐怖」⇒ライフライン・病気・死からの搾取


ライフラインに「楽」を提供し働く機会・人生を制御する。



しかし、我々にはお金を何に使うのかの自由が残されています。

自分たちが生きる方向性(未来)にお金を使う。


例えば

コンビニでご飯を買うのは楽です。


だから、多くの人はコンビニでおにぎりや弁当を購入します。

それは言い換えれば、コンビニと言う産業に大衆が投資しているという事になります。


コンビニで毎日のように安定的にご飯を購入できるのは、時間の短縮・家事の軽減など良い事も事実です。


しかし、失われている物も多々あります。

母親の仕事・自覚、子供の思考低下・男性が女性を必要としないなど


社会の循環の仕組みがずれてしまいます。


そういう小さな変化がLGBTやSDGsなどの新しい取り組みにつながってはいますが。


人間社会を営む本質的な役割が、大きく変化しているように感じます。


家族の在り方や、社会の在り方などが「食べ物」によって変わっている。


食べる時間・食べる物・食べるものを作る時間・食べるものを作る労力



これらすべてが単一化されて統合されつつある事に大きな違和感を覚えます。


自然栽培をしていると、雑草の多様性・虫の多様性の中に人間の食べるものを自然界の中から取り入れているという事に気づかされます。


多様性があるからこそ、戦い(競い)生きる。


「死」と言うものと「生」と言うものが共存して認め合い地球と言う共同体が生み出されている。


21世紀の日本人は、『死=奪う』と教育されている。


本来、日本人の死生観の中に『死=生かす』事があったはずである。


我々が食事をする時に、『いただきます』・『ごちそうさま』という言葉を唱える。


『いただきます』と言うのはあなたの命を頂戴する。


『ごちそうさまでした』あなたのために走り回ります。





 地球全体を見ると、毎日毎日のように命が生まれて命が消えていきます。

全てを生かす事は出来ないし、すべてが輝く事は出来ない。



ただ、全てが輝いていると自分が感じる事は出来る。




ごちそうさまでした。



今、自分の命が失われてしまっても何も問題はない。


地球が命のバトンをつなげてくれる。

地球が潰れても、


宇宙が


全てが


輝き続ける。


なぜなら、全てを輝かせるのは自分の意思だから。



自分が無くなっても、自分の意思が消滅しても終わりでない。


大丈夫。


全ては輝いていると、今この瞬間に感じる。



だから、今日も人間の役割を全うして自分の役割を全うして美しく生きよう。


私は、自然栽培の中からこんな風に感じながらマンゴーを誘い。


マンゴーに誘われ生きています。


自然栽培は素晴らしい。


人生を輝かせることが出来る商品です。

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